取扱品目

名入れカレンダーの豆知識

名入れ印刷

1. チャリンコ名入れ

平台印刷機を用いた印刷方法です。機械の動作するときの音から通称『チャリンコ』と呼ばれています。この方法では、完成品のカレンダー(天を綴じたもの)や、台紙等の厚紙など通常の印刷機では不可能なものが印刷できます。

 

 

 

 

印刷機の構造は比較的単純で、机状の台の上を『胴』と呼ばれる円筒形の転写面が転がりながら往復運動をして印刷する仕組みになっています。胴が手前に来たときに印刷され、奥側に行っている間に人間が紙を1枚ずつめくります。印刷後は、乾燥・箱詰めをしてすぐに出荷が可能です。

 

 

 

 

2. バラ刷り名入れ

カレンダーを製本する前の状態(1枚1枚バラバラのシート状の紙)で印刷する方法です。チラシやポスター等の一般の印刷をする際に使用する枚葉機と呼ばれる印刷機で印刷します。網点の再現性に優れ多色刷りの際の見当も正確で印刷スピードも速く、多量の印刷に向いた方法と言えます。
バラ刷りで印刷した商品は、印刷後に製本が必要となります。

 

 

3. 箔押名入れ

熱と圧を利用する特殊印刷(熱転写)です。適温にした凸版で箔材を印刷対象物に押し当てて印刷(転写)します。箔押の最大の特徴は、一般的な印刷と違い、金属的で豪華な存在感ある仕上がりが表現できます。
※名入れ色を数種類の箔材から選ぶことができます。

 

 

 

 

カレンダーのサイズ

壁掛けカレンダー

A列(A全紙)
A1900×600(900×550~600mm)
A/2切605×425(600~610×420~426mm)
A/4切430×303
A/6切440×170
A倍/6切400×425

 

 

B列(46全紙)
46/2切740×515(735~775×504~520mm)
46/3切長765×355(742~765×350~355mm)
46/4切525×380(520~538×379~380mm)
46/6切長525×250(524~535×242~254mm)
46/6切350×380(350~355×380mm)
46/8切長525×190(525×535×187~190mm)
46/8切375×260(365~375×254~260mm)

 

 

卓上カレンダー

155×180
180×210

 

 

※メーカごとに、多少のサイズの誤差が生じます

 

 

吉日・凶日・六曜

吉日

天赦日(てんしゃび)

天赦日とは、「天が万物の罪を赦(ゆる)す日」といわれ、日本の暦の上で最上の吉日であり、何事においても良い日といわれています。

一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)

一粒万倍日とは四柱推命において、大安と並んで運のいい日とされる吉日のことです。この一粒万倍日が「天赦日」などほかの吉日と重なるとさらに縁起が良いとされています。

 

凶日

三隣亡(さんりんぼう)

暦の上での忌みの日の一つ。一・四・七・十月は亥 (い) の日、二,五,八,十一月は寅 (とら)の日、三・六・九・十二月は午 (うま) の日がこれにあたります。特に建築を忌み、犯せば三隣を亡(ほろ)ぼすといわれています。

不成就日(ふじょうじゅび)

陰陽道で、この日から始めた物事はすべて成就しないという悪い日とされています。旧暦の各月ごとに四回あり、一・七月は三日、二・八月は二日、三・九月は一日、四・十月は四日、五・十一月は五日、六・十二月は六日に始まる八日目ごとの日となります。

 

六曜

先勝(さきかち、せんしょう)

急用や訴訟などを行うのに吉の日です。ただし午後は凶です。

友引(ともびき)

午前、夕刻、夜は勝負なしの吉日で昼は凶。葬儀は道連れが出るとされています。

先負(さきまけ、せんぷ)

静かにしているのがよい日。公事や急用は避けます。ただし午後は吉。

仏滅(ぶつめつ)

移転、開店、新規事業の開始など全てにおいて悪い凶の日。

大安(たいあん)

仏滅とは逆に結婚、移転、建築、旅行など全ての事に吉の日です。

赤口(しゃっこう、しゃっく)

赤口神が人々を悩ますため何事にも悪い凶の日。正午のみ吉です。

 

 

12月3日は『カレンダーの日』です!

日本で現在使用している「太陽暦」が採用されたのは1872年(明治5年)のことです。当時、政府は「来る12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日とする」と発表しました。それまで太陰太陽暦ですべてが動いていたのに、わずか23日後から暦が変わることになり、その混乱ぶりは想像以上のものだったようです。

しかし、この改暦は太陽暦を採用している諸外国と外交上で足並みをそろえるため、そして日本が文明国家に仲間入りしたことを海外に広くアピールするための施行でもありました。その後の日本が文明国家として大きく成長したのはいうまでもありません。大正、昭和に入るまでの社会では新しい太陽暦に則って動いてはいましたが、庶民の暮らしはまだまだ旧暦に依るところが大きかったようです。